こんな疑問にお答えします。
もくじ
色鉛筆、クレヨンの1本1本に名前を書く日本
日本で子供をお持ちの方なら避けて通れない幼稚園・保育園・小学校の「名前書き」地獄。これ、多分、日本特有の文化です。
細長い色鉛筆に、苦労して名前を書いたり、シールを貼ったり。クレヨンなんか名前書いても、沢山絵を描いて外側の紙をはがしたら、この苦労、意味ないよねーって思ったり。
小学校に入ると最難関の「おはじき1個1個に名前を書く」という拷問もどきの作業が待ってます。
今はおはじき用のシールやスタンプが出ていますが、
シールを1個1個に貼る (しかも苗字と名前の2枚)

スタンプを1個1個に押す(しかも苗字と名前の2回)

という作業でも、神経使うわ、時間がかかるわで大変!!!
話しがそれるので軽く触れておくだけにしますが、このチマチマした作業をするのは、お父さんですかお母さんでしょうか?大多数の家庭は、お母さんだと思うのです。
なぜ、お母さんなのでしょうか?それは、
子育て=お母さんの仕事
お父さん=そんな細かい作業をしなくていい
という先入観があるからです。
仕事をしながら子育てしている女性、または小さい子供がいて生きているだけでいっぱいいっぱいの女性に、この名前書き作業をさせる日本って、やっぱり変。
カナダ人が、このチマチマした名前書き作業を見たら、
頭おかしいんじゃね?
って、絶対思いますね。
シェアは究極の競争
では、カナダでは絵を描く時間に色鉛筆やクレヨンをどう扱っているのかというと、大きめの筒に色鉛筆をガバガバ入れて、机の上にドン、ドン、ドンといくつか置くだけ。
クレヨンは、四角い箱に入れて、これまたテキトーに机にいくつか置いておく。そして、
仲良くシェアして描きましょう!
ってなるわけです。

さて、物品の管理をカナダの先生はマメに行うでしょうか。答えは分かりますね?
よく使われる色に関しては、色鉛筆が削られてない、クレヨンは折れてボロボロ、使えそうなものはわずかばかり。それでも見た目は沢山あるように見える。
自分のお目当てのモノを友達より早く手に入れるのは至難の業なわけです。誰かが使っていたら、あくまで待つ。けれども、もうその色が使える見込みは限りなく少ないでしょう。
このような残念体験がカナダの小学校では、色鉛筆やクレヨンだけでなく、ハサミ、のり、粘土、紙などの工作材料、高学年にいたっては裁縫道具、布にいたるまで四六時中起こります。
小学生はまだ「自分が使いたい」が優先されると思います。自分が使いたいものを我慢して譲れる子供は少数派ではないでしょうか?英語がちゃんと聞き取れないウチの子供達は完全に泣きを見ています。
結論を言うとシェアとは、
早い者勝ちを学ぶ体験
なのです。うかうかしているとロクなものが残っていないということを日常的に小さい頃から肌で体験するカナダの子供達。キンダーに至っては物のシェアの前に、まずは机のシェアから始まりますから。
こんなわけで、
名前が書いてあるので競争する必要のない、お行儀の良い環境で育った日本人
と、
競争しないと良い物や良い場所が手に入らないことを無意識に学んでいるカナダ人
と、おのずと行動パターンが変わってきます。
更には、名前が書かれていても所有を主張していないと自分の物にはならない可能性があります。たとえば、名前が書かれたクレヨンが落ちていても、「落ちてたから拾って使ってたんだよ。名前なんか見ないよ。」となります。

日本の領土が取られたりしてますけど、名前が書いてあっても無駄だという感覚、カナダに来て良く分かりました。大事なのは先に所有を主張することです。昔の文献に書いてあるから日本の領土という議論は無駄です。
もちろん、落ちているクレヨンに書かれている名前を見たら持ち主に届けるカナダ人も多くいると思います。
シェアの意味は、もう一つ、市場の占有率という意味もありますが、海外の人が我先にアイディアを出していって市場に広げていくのが上手なのも、小さい頃からのシェア体験のなせる技なのかもしれません。

しまじろうの資産運用サイトより
所有文化は良くないのか
では、所有文化は良くないのか?というと、そうではないと思います。名前を書くことで「物を大切にしよう」という気持ちを育てるのは大切なことです。
人口増の地球において物を大切にする(=限りある資源を大事に使う)気持ちは、より重要になってきていると思います。
まあ、シェア文化の人から見れば、所有するよりシェアした方が限りある資源が有効利用されているって思ってますけどね。
それにしても、カナダ人の物を大事にしなさっぷりは、すごいですよ。溢れんばかりのLOST&FOUNDの箱、水筒を水たまりに投げて遊ぶなど、日本ではありえない光景が目白押しです。

小さな物まで気を配ってなくさないようにしよう、持ち物は大事に扱おう、という日本人の当たり前の感覚は、外国に来たらそう簡単に身に着くものではありません。
更に、落とし物は自分の物ではない、または名前が書いてある落とし物を見つけたら持ち主に届けたくなる、という日本人なら当たり前の感覚も身につかないかもしれません。
写真の LOST&FOUND の箱には名前が書いてある物も多くあります。
物を大切にする気持ちはシェア文化では育みにくいと思います。そんなわけで、シェア文化と所有文化、どっちがいいの?という問いに個人的には答えは出ないです。
カナダではジュエリーまでシェアしている人います(日本でもあるかな)。人が身につけた物を使うのって私なら、ちょっと・・・。そのうち下着までシェアしかねないんじゃないか?ってハラハラします。清潔さの感じ方が違うのもシェア文化と所有文化の違いを生むのかもしれません。
まとめ
とにもかくにもキンダーの4歳の頃から日々、早く取った人が優位にたてるシェア文化で育った人たちと、のほほんと育った日本人が大人になって世界で競争していくのは並大抵のことではないと思います。
世界中のあらゆる物は先に取った人の物になるというよく考えれば当たり前のこと、
更には、
名前が書いてあっても放置してあるものなら、所有してしまえば自分のものになるという隠れた常識、
日本では気がつかないですよね。
初めに月に行くのがなぜ大事か?今まで考えたこともなかったです。
小学校の物品は何でもシェアだわ。うちの子供は全然シェアされないんだけど。シェアって仲良く分けるってことじゃないのかしら?